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久々の文章

絵について言われていちばんうれしいのは「(自分も)絵が描きたくなる」である。

毎日描いてるはずの絵描き仲間に言われるとなおうれしい。

 

ところで、自分が「文章を書きたくなる」となるのは川上未映子である。

同じ関西人であることがそのいしづえにあるのかどうかは定かでないが、川上さんの文章にそのツボはあって、読むと作文欲求がほとばしるのである。

 

寝る前の10分間の、どうにも居たたまれないこの頃を慰めるべく、今日は図書館で川上氏のエッセイを借りた。そして借りただけで読んでもないのに、すでにほとばしる作文欲求が溢れ出ておそるべし。まさにいま、ものすごく久しぶりに文章を書いているのであるから。

 

このごろは文章を書かなくなってしまった。震災がきっかけだと思っている。

自分が震災で失ってしまったのは「文章」だった。

 

(せっかく書くのが好きなのだから)積極的に社会的な発言を書かねばならないという気持ちがはたらいた。しだいに文章も自分自身も堅苦しくなって、とうとう書かなくなった。

 

この「書かねば」は「描かねば」とも、もちろん似ている。

絵も文章もたのしいから描く(書く)のに、そこに「ねば」がやってくるのである。

 

そしてこれがなかなかふりほどけない。

「とはいえ、まじめにやってかないと日本まじでやばいから」と思うし、また、「まじめに描かないと自分の絵は家族の犠牲の上に成り立っているのだから」とも思う。まったくもって事実ではあるのだけど、「たのしい」を罪悪に変えてしまう同根のこの義務的感覚。

 

人の絵を見て、自分も描きたくなる気持ちは自分自身よく経験する。

そういう絵は描くのがたのしそうに見えるのである。

そして実際たのしくないわけもなかろう。

 

文章だって、たのしいから書くのである。

ほんとは伝えたいことすらないのかもしれない、とおもう。

絵も文章も。

 

 

ちなみに図書館では川上未映子といっしょに多和田葉子を借りてきた。

なぜか自分のなかには「この世でいちばんオシャレな本は多和田葉子だ!」という漠とした思いがある。

読むとちょっぴりねむくなる。

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