後藤さんたちの件は、収束しないうちは触れないのがいちばんだと思うけど、付随して出てきたコラージュ画像について。
コラージュ画像のニュースを見て思わず、はっとした。
事件とは別のところで、心が躍ったというか。
無条件に「いまを浮き彫りにしたもの」に気持ちが反応した。
「日本人はここまで感情が劣化している」。
他者の気持ちに共感できない、しにくい、いまの日本を、なんていうかものすごく直接的な感じで表現したと思う。結果的に。
やったのは一部の劣化の激しい人たちだと思う。
ただ、そのほんの一部がネットによっておそろしく肥大して社会の空気に影響してる感じ。
政府のオラオラな気分が無自覚のうちに火だねを作ってしまう、
そんな今回の状況も、政治家の「感情の劣化」が一因だと思えば、コラージュ画像の一件とつながって見える。
この民度にしてこの政府。矛盾がない。
海外一部メデイアでは、このコラージュ画像がテロリズムの深刻性を破壊して、結果良かった、と解釈するところもあるらしい。
たしかに結果的にはそういう部分もあると思う。どこか痛快だったとも思う。
けれど、もう少し冷めて見れば、もちろんこれは、意図された、アーティスティックな(固定観念を崩壊させる)活動なんかではなく、一部のネットユーザーが現実と虚構の境界を失っているせいで、ほとんど偶然に起きた社会現象みたいなものだと思う。
(現実と虚構が並列するときの滑稽さが、テロリズムの深刻性を破壊したわけで、もしかしたらこのことを直感的に狙った人もあったかもね。でもやっぱり偶然性が強そう。)
現実と虚構。
文章や画像で構成されたネット上の虚構は、あくまで現実の部分的な”解釈”であって、それを現実と誤認すると、現実に対する理解や共感の深度はとても浅くなる。すぐに底にぶつかる。まして、その虚構を国語的に(または本質的に)十分咀嚼できてない場合は、目も当てられない。
現実に対する理解、共感の欠乏したネット世論が、現実の社会、政治を突き動かしているとしたら、こわい。