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極楽回帰

「回帰」という言葉が浮かんで「原点」を探していたら「極楽」が浮かんだ。

極楽について検索していると、ケルトの「メルグル」というものに遭遇した。「喜びの平原」という意味らしい。

CLANNADというゲームの話みたいなんだけど、ゲームをはなれて「極楽浄土」と「理想郷」の違いを説明しているともいえるもので、その内容が腑に落ちる文章だった。

http://ahou2chome.sakura.ne.jp/misc/zakkisel/051001.html

要約すると、「メルグル」というのは一見、天国、極楽浄土のようなところだけれど、ケルト神話の一節によると、「永遠の命・永遠の若さ・永遠の美を手に入れるところ、食べてもなくならないリンゴや、女しかいないところ」で、天国、極楽浄土を想像するときに、例えばある宗教を信仰していた人が「神」によって生前の罪過を洗い流され、イノセントな状態であるというイメージがあるのに対して、むしろ逆の、欲望にまつわるところである、と言っている。

あらためて「極楽浄土」というものを考えてみると、案外「理想郷」との違いを意識していなかったことに気づく。

「食べてもなくならないリンゴ」は、働かずして食べ続けられる魔法のリンゴだ。たしかに働かずに食べれるなら、極楽と言えそうだけど、本来の極楽はそういうことではなくて、いっそ、「楽」の字が付いているから混乱するので、楽をとって「極」とだけすればいいんじゃないかとも思う。

少なくとも、「原点」というものを探していたときに浮かんできた、僕のなかの「極楽」とは、「働かず食える」意味合いの「楽」な場所ではない気がする。

「メルグル」についての文章にもあるように、極楽浄土は「イノセントな場所」であると考えている。

じゃあ、そのイノセントとはなにか?その詳細は?ということになるんだけど、僕は「原点」からそれを思い浮かべたように、人間の、もっといえば生命の「初期設定」的状態じゃないかと想像する。

そしてその「初期設定」的状態とは、動物も植物も人間も(「神」的な秩序のもとに)一直線上に並列して見なせる状態じゃないかと想像する。

じゃあ、そういう状態がどういう状態?かというと、人間が感情や打算抜きに目前の案件の本質に沿って行動できる心的状態じゃないかと僕は考える。

それは、一般的に思い描かれる子供の行動のイメージにも似ている。

その状態は筋肉の弛緩した状態というよりは、躍動している状態だと思う。

以前、軽い地獄絵図的な絵を描いたことがある。そして、いま自分なりの「極楽」をイメージしてみて、その基本のところの似ていることにびっくりする。

地獄のような場面でも生きようとする人たちを描こうとした”地獄絵図的”な絵だったけれど、彼らの姿勢と、極楽で生きる人たちの姿勢が、僕のなかでまったく同じイメージになっている。

死んだあと行くところなのだから「極楽で生きる」というのはヘンかもしれないけれど。

「天国も地獄も気の持ちよう」みたいなことではないと思う。「表裏」ということかもしれない。

そう思うと、僕が子供のころから持っている「極楽」のイメージは、昔のおじいちゃんやおばあちゃんが「ごくらく、ごくらく、、」と唱えるあの「極楽」のイメージであったのかなあと思う。

あらためて、古い極楽浄土図や天国についての宗教絵画を見てみると、そのどれも、神たち(超人的なイノセントで神化した人たち)の躍動的な姿が写してあった。

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