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絵も詩も、ある程度の確信を持って描くけれど、

伝えたいのはその論理とかじゃなくて、肌触りのようなもの。

その肌触りを再現するためだけに細心の注意を払って、画面なりを構成する。

その”肌触り”がどこから来ているのか、なにを示しているのか、たいがいは心のなかで気づいている。
ただ、言葉でそれをはっきり説明するのは難しいもの。

それでも、その肌触りをくりかえし吟味するうちに、自然と言葉になることはある。
論理的な説明ができるようになることはある。

震災後。
震災で瓦解したなにか、回復しないといけないなにか、がんばりどころ、みたいなものを僕なりに懸命に考えた。

その結果、いちばん根本にあるのは、生活者一人ひとりの、社会に対する”依存”だと思い至った。

僕は”実存的な生き方”を基本に生きている。
かんたんに言えば「いまこの瞬間に集中する」という作法に尽きる。
それは目の前の現実に向き合うことで、その所作は自分自身の眼で見、行動しなければ始まらない。

この点で、僕は社会の現状に対して、なにか言うことができると思った。

僕の文章はすべて”実存的な生き方”を基点にしている。

それを、より論理的な言葉で、だれもが理解できるよう努めた。

間違っているかもしれないが、とにかく論理的に言葉にしてきた。
 

でも、その作業は自分が進む表現の方法とはズレている。

僕が描いているのは、肌触りである。

肌触りは説明することができない。

肌触りは、”いま目の前にある、目の前で起こる”感触だ。

あとから、”肌触り”を吟味して、根本の骨格を論理で説明することはできるかもしれない。
が、その骨格には元の肌触りはない。肌触りとはそういうものだ。

震災後、僕が言葉にしようとしてきたことは、もしかしたらほとんどの人が知り尽くしている事柄なのかもしれない。
知っていて、それでもそれを信じて行動できないものなのかのかもしれない。

僕にとって、社会の現状は最悪に近い。

そして僕はいま行動すべき事柄を手に入れた。

その行動の中身を言葉で説明することはできない。

それは肌触りと同じだ。

言葉になるのはあとのこと。

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