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未熟なまなこ

実存主義とは、世界の真実を見つめる最もベーシックなスタンスなんじゃないのかなと僕は思う。”大前提”だとすら思える。

それは、小さな子供でも、貧困無学の死刑囚でも、なんの垣根もなく体得することが可能だからでもある。

ごく単純な作法だ。

今この瞬間に集中すればよいのだから。

だからこそ、もしかしたら子供じみてシンプルなのかもしれない。

実存主義とは哲学なんだろうか?

僕には実践的なものに思える。

だから”作法”である。

哲学とは実践を俯瞰するもののように思っている。

アートであっても実践を俯瞰するものがあると思う。

それらは、まず実践(僕の思うに、瞬間に集中すること)が前提にあって発生する感性なんじゃないかと想像している。

単に俯瞰してお終いではない。

俯瞰したところから再び実践に向かうんじゃないだろうかと想像している。

もっとも近いイメージは抽象とか反復。

たとえば、杉林を描いていて、杉の葉の一枚まで丹念に描こうとするときに、葉を描く反復作業の方に描画の重心が移ることがあると思う。

葉というものから意味が剥落して、抽象化していく。

このとき絵は別の目的を持ったと言えそうに思う。

実存的なものが子供的なものだとしたら、大人的なものというと、概念だとか抽象じゃないかと想像している。


社会化というのは、実存的なものを概念化して”規範”=ルールを築いていくということだ。

規範とは枠であって、枠にハマる危険性がある。

そのことさえ理解されてあれば、概念化は抽象化に向かわないだろうか?


 

話が飛ぶようだが、霊感の強い人に、”霊の見方”というのを教わった。

眉間の上のあたりで、心の眼のような感じで見るのらしい。

僕には相変わらず霊は見えないのだけれど、いつか見たいと思う。


心の眼というなら、それはいわゆる眼球で見える類いのものではないのかもしれない。

かといって、夢や幻覚で見るわけでもないんだろう。
社会化の際に使う概念活動ではなく、抽象に向かうときのようなものじゃないだろうか?

ものの見え方には際限がない。

人間ひとり一人の視点の違いが横軸だとしたら、その深度やらなにやら、縦軸になる視点の巾もあるだろう。

見えないものが見たいんだ、と、かつて絵画コレクターのお一人に伺ったことがある。

同じ意味ではないのかも知れないが、僕も今の自分に見えない世界をいずれ見たい。

先日のテレビで、稲の品種改良を担う科学者の方が言っていた。

「科学の進歩でより多くのデータが集められるようになったけれど、その結果分かったのは、自分たちにはまだまだ分からないことがたくさんある、ということだった」と。

強く肯きもし、どこか希望を感じる言葉だと思う。
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