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日本での権力の行使のされ方について、丸山真男から引用
 日本人の政治意識  丸山真男


政治とは人間の人間に対する支配、すなわちその力の及ぼし方にはいろいろあるが、政治の力の及ぼし方は権力を用いて人を支配することであり、政治社会の統一のためには権力が必要である。しかし権力というものはそれ自身が目的ではなくあくまでも他の目的のための手段である。ところがこのことが忘れられ、権力の手段性が意識されないでそれ自身が目的になってしまい、権力を行使する方もされる方も権力それ自身に価値があるように考える傾向が生まれる。ここから権威信仰が発生するのである。権力に対する服従が絶対的になって来るというのは、権力が客観的な価値(真・善・美)を独占しているということから起こる。すなわち人間の行動の場合の価値の基準が権力から独立して存在し得なくなってしまうのである。一例を正義にとってみると、お上の命令だから無条件に従うという場合には、このお上の命令の中に正義が含まれており、すなわち正義という価値が権力者と合体している。このように客観的価値の権力者による独占ということから権威信仰は生まれる。権力者というものに命じられて道徳的拘束をもつ。だから服従者は権力に反抗した時に与えられるであろう罰に対する恐怖の意識から従うというだけでなく、反抗すること自体を悪と考えるに至るのである。その顕著なものとして承詔必謹のイデオロギー、進駐軍の命により車外乗車を禁ずるといった例がそれである。このような権威信仰がいかに我々の内部に深く潜んでいるかがわかる。さらに例をあげるならば、国家が戦争した以上戦争に協力するのが当然だという考えが、いまだに深く我々の道徳観念になっているということである。戦争をするのが正しいかどうかという価値観(正・不正)の判断を国家ーつまり具体的には政府にあずけているといえる。ヨーロッパ社会のようにconscientious objector(自己の良心が許さぬという理由から兵役に服さぬ人)は一般社会の通念になっていない。すなわち良心的反対者を社会がみとめていないということである。シナの儒教思想にはまだしも価値が権力から分離して存在している。すなわち君主は有徳者でなければならないといういわゆる下主義の考え方で、ここから、暴君は討伐してもかまわぬという易姓革命の思想が出て来る。ところが日本の場合には君、君たらずとも臣、臣たらざるべからずというのが臣下の道であった。そこには客観的価値の独立性がなかった。人間の上下関係を規定するところの規範が、客観的な、したがってだれでも援用できる価値となっていない。親の言葉が子の道理という俗語もその例である。上位者そのものには道理という規範が適用されないのである。恩恵を垂れるということはあっても、これを下から要求することはできない、というのは仁・徳が権威者と合一しているから権威者の思し召し如何ということのみによっているからである。

また、権威信仰のもう一つの特徴としては、権力が決してむき出しのものとして出て来ないということである。つまりボカされ、温和な形で現れる。事実日本には露骨な残虐な政治的支配はあまりなかった。権威が何かありがたいものとして絶えず現れているので、そのために、それが根本的にはやはり権力の支配であるということがかえって人民の間には意識されないでいる。日本古来の家族主義といわれるものも権威信仰であり、恩恵を施すことが家長の意志のみにあって法律のように客観的規範がないから、家長から恩恵を受けている間にも家族員には一種の不安定な感じが存在する。それは客観的規範に訴えて主人に抗議することが許されないからである。たまにそんなことをする女中があると可愛さあまって憎さが百倍ということになる。このような関係は日本の政治史を見るとよくわかる。普通には残虐な支配はないが、いったん権威信仰の雰囲気的な枠に入って来ないとみると逆に非常に残虐になる。これは家族的原理の中に入って来ないものに対する「敵」への憎しみに外ならない。徳川時代のキリシタンに対して、また現代の思想犯に対して、支配者がいかに残虐にふるまったかがこのことを物語っている。日本には権力が権力として力として意識されないという特徴がある。ヨーロッパにおけるような権力崇拝がないのである。日本の政治家たちを見ていると、いわゆるやり手というのが軽蔑される。すなわち雰囲気的な統一を破って自己を主張するものに対して、集団のもつ嫌悪の感情である。また責任の主体をボカして支配するということが行われる。俗に黒幕による支配といわれるもので、支配者を単数にしないで責任の帰属がわからないようにする。一人の人間が自己の意見を持って行動するということが嫌われる傾向がある。立候補という制度でいい人が出にくいのはその一例である。日本の過去において天皇と別に法皇による院政というものがあり、幕府にも執権というものがあったのもそれである。中心になる権威が赤裸々な人間の支配として現れず、雰囲気的な支配として現れるのが特色である。(1948年)


ー出典「戦中と戦後の間」丸山真男著ー高校生のための文章読本(1986年刊)より

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