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小学二年生の感性
 この春、小学二年生になる娘が僕の作品に絵本的なことばを付けてくれた。

「ハングドマン」という題名の、言葉のない紙芝居のような本を手作りしているんだけど、その原稿のプリントミスが家庭のメモ用紙代わりにストックされている。その一部を使って、娘が自分でストーリーを付け直したのだ。

そのことばというのは、ほとんどが疑問形で、絵に対して不思議に思う気持ちをそのまま書き表したようなことばで、とてもストレートで率直。

そんな言葉は大人になるにつれて聞かれなくなりそうだなあとふと思う。
かといって、この年になるまでは、その書こうとすることばを、うまく書けもしなければ、ことば自体を構成、組み立てることもろくにできなかったのだ。

僕は前々から小学二年生というのは、とても貴重な年頃のように思っている。
全能の子供時代の感性を保ちながらも、かろうじてそれを表現するスキルを有する年頃だからだ。

感じるというのは人にとって比較的当然なことだけれど、大人になるにつれて人は表現を慎しむようになる。”表現”という自己を主張する作業は社会生活に支障があるのだろう。たしかにあまりに無軌道に自己主張され続けても大人としては付き合いきれない。

絵を見て、不思議に感じて、そのことをことばにしてみて、実際にそのことばを書いてみて、さらにそれを他人に見せて、それでやっと”表現”というのは成立する。

けれど、この行程のひとつひとつが、おそらく年を重ねるごとに省略されていくのだろう。

まず、他人に書いたことばを見せなくなり、想像してはみても実際に書いてみることをやめ、そのうち書きたいとう気持ちもなくなって、想像することもなくなり、なにかを見て感じることもなくなる。いや、感じてはいても自分がどのように感じているのかよくわからなくなるのかもしれない。

そして最後には絵も見なくなるかもしれない。
すべての人がそうなるわけではないけれど。
| 日記 | 14:39 | - | -
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