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個の進歩
人はだれでもちっぽけな存在であってこの世界中のすべての実体は実体であるからこその有限でもってちっぽけでしかも無価値なのだ。そんなふうな視点からいえば仮に自己を愛して時間を費やすことも他者を愛して時間を費やすことも大差なく無価値なはずであって、どちらの無価値を優先するかなんてことすら端から無意味であるわけで、自己を大切にした結果と他者を大切にした結果とは少なくともその視点からみれば同等同質である(から他者を大切にすれば自分を大切にしたことになる)よねととりあえず思ってみる。無価値であるからやらないなんて発想は端からない。


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社会はかつてよりも個人の意識が社会全体のなかに昇華されやすくなったのではないかと思う。ツイッターはじめSNSの登場は革命だったと思う。

個の意識が全体のなかに反映されやすくなったという気がするが、そのぶん匿名性もあがったんだと思う。どの個人がなにをしたかということはもはや問題にされず、おしなべて均一な個がひたすら全体の一部として機能するようなイメージだ。蟻の社会を想起したりする。


社会システムとしては機能が向上しているのだろう。地球の裏側に住むだれだか知らない人間のちょっとしたつぶやきが世界を変えることもありうる。けれどそれはその個人のつぶやきの功績というよりは、その小さな言葉を掬い取れるようになったシステム自体の功績だろう。システムがシステム自体の機能をさらにあげるために個人の意識を自動的に吸い上げるという社会。


自他の境界が質を変えて曖昧になっているのかもと思う。これからの社会はかつてほど個人の業績が云々されることはないだろう。個が全体に埋没する。これは個の均一化だろうと思う。


けれどそれじゃあ個は退化するのかというとそうでもないと思う。個が個のなかに価値を見出すのではなく、全体のなかに価値を見出すようになるということがないだろうか。そしてそれを”意識の進歩”と呼ぶということはないだろうか。(一般に議論されているような”個の意識の進歩”については自分はよくわからないのだけれど。)


自他の差というものが、かつてのように単に個人の意識の向上からなくなるのではなく、社会システムの結果から半ば自動的に消滅するということはないだろうか。


良いことか悪いことかというはなしではない。


(書きかけ)

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